2016年01月11日

さくら公演について・その2(あかいすずのこと)

佐倉でやる理由。

あかいすず、のはなしをします。あかいすず。
丹(あか)い鈴、です。丹鈴。ニレイ。

わたしの前任校に、丹鈴会という会がありました。ちなみに、わたしの前任校は、佐倉東高校。

丹鈴会、というのは、20(ニレイ)にかけて名づけられたのだそうです。

昭和20年。終戦の年です。その年に、佐倉東高校の前身である佐倉高等女学校を卒業した方がたの会が、丹鈴会。

当時の女学校は4年制ですから、かの女たちが入学したのは昭和16年。開戦の年です。

開戦の年に入学し終戦の年に卒業。つまり、女学生時代のまるまる4年間、戦争のまっただなかだった、ということになります。

卒業から50年後、かの女たちは文集をつくります。卒業50周年記念誌『丹鈴』。そこには、戦時中の体験が生なましくつづられています。

佐倉高等女学校からほど近くの佐倉城址には、明治時代から軍隊が駐屯、その後終戦に至るまで、いくつもの連隊が編成されました。いわゆる、佐倉連隊、です。女学校の教室には、軍服がうずたかく積まれたといいます。その修理も、女学生たちのしごとでした。

夏は草刈り。雨天体操場に広げて干しました。軍馬のエサにしたそうです。

4年次には戦局も逼迫し、工場への動員がはじまります。工場では、エンジンカバーをつくらされたとか。それは、特攻隊の乗る飛行機のエンジンカバーでした。

記念誌からうかがわれる、かの女たちの学生生活は、いまでは、とても想像のつかないものです。

戦後70年にあたる昨年、成田国際高校の文化祭企画として、生徒たちとともに、丹鈴会元会長であるHさんのお宅をたずね、ほんとうに久しぶりにHさんのおはなしをうかがう機会を得ました。

『ジャスミンティの頃』というお芝居にも、そのときのHさんのおはなしや、また記念誌の内容などが、すくなからず盛りこまれています。ですから、このお芝居にとって、佐倉はゆかりの地、なのです。

これが、佐倉でやる理由、です。
posted by コモン at 22:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする