2015年11月20日

『ジャスミンティの頃』のできかた

戦後70年にあたることしの、成田国際高校の文化祭テーマは、ピース。カタカナで、ただ、ピース。ふたつのピースを掛けて、ピース。へいわ、を意味する、Peace、と。かけら、を意味する、Piece、と。副題が、We are a Piece of the Peace。つまり、へいわを形づくるのは、わたしたち一人ひとり。という意味だ。

生徒会本部は、戦争体験者の方々のおはなしをうかがい、文化祭当日「ヘイワ×ミライ」と題したブースで発表する、という企画をたてた。

むずかしかったのは、やはり、おはなししてくださる方々をみつけること。戦争を体験された方々は、だんだん少なくなってきているし、それにまた、たとえさがしあてても、ご高齢ゆえ、必ずしもおはなしをうかがえるとは限らない。だからじっさい、とおく山武市の公民館まで出かけていったり、学校や公民館においでいただくのもむりな場合はご自宅におじゃましたり。

山武市のTさん。少年のころ、米軍の戦闘機から機銃掃射をうけた。友だちとふたり、ぱっと河原に伏せた。助かった、と思って顔をあげたら、1メートルとはなれていないところで友だちは息絶えていた。

佐倉市のHさん。ちなみに戦時中は、成田市にお住まいだった。女学校に入学された年の12月に太平洋戦争開戦。卒業された年の8月に終戦。つまり、女学校時代のまるまる4年間、戦争のまっただなかだった、ということになる。出口がみえなかった。いつか戦争が終わるなんて想像することさえできなかった。そりゃそうだ、と思う。小学校のときには日中戦争がはじまっている。戦争でない状態のほうがふつうでなかった、ということなのだろう。
だから、とHさんはおっしゃった。だから、将来のことなんて考えられなかった。だから、夢なんて持てなかった。

−−だから、とHさんはおっしゃった。だから、夢を持てる今の若いひとたちは、夢をお持ちなさい。おっきな夢を。

Hさんのおはなしをもとに、文化委員の花澤くんが歌をつくった。文化祭のテーマソングである。題して、『いつの日も』。

♪未来つくる僕らが/いつの日も笑えるように/さあ未来つくる僕らで/いつの日も夢叶えられるように

『ジャスミンティの頃』も、TさんやHさんのおはなしが下敷きになっている。それから。夏休み中、中村と佐伯といっしょに読んだ、あまたの戦争関連の書物。なかでも脚本の方向性を決定づけたのは、『ひろしま』という写真集との出会いだった。写真家・石内都さんが撮った被爆遺品たちの写真集である。被爆遺品たち、といった。たんなるモノではない。あの瞬間までそれらを身につけていた人たちの存在を開示する、遺されたモノたち。たとえば、焼け焦げた、花柄のワンピース。美しすぎるがゆえに、つらく、また、せつない。

縁があって、成田市主催の「折り鶴平和使節団 長崎訪問報告会」に招かれ、そこで花澤くんと仲間たちとで『いつの日も』の歌を披露した。歌にさきだって、花澤くんが語ったことば−−。

「戦争を体験した方々が少なくなってきているなかで、戦争を体験したことのない僕たちがいま、その記憶や思いをうけ継いでいかなければなりません。でも、それだけでは足りないと思うんです。なによりもまず僕たちが、しあわせにならなくちゃいけないと思うんです。そして、そのしあわせを、この、いまのへいわを、ちゃんと、つぎの世代にうけ渡していかなくちゃいけないと思うんです。」

ひろしま -
石内都『ひろしま』
posted by コモン at 16:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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