2016年06月29日

成田国際高校演劇部 文化祭公演(中村恵引退公演)

演劇部文化祭ポスター.jpg

成田国際高校演劇部は、本校文化祭で公演を行います。これは、中村恵の引退公演でもあります。中村と1年生5人とでつくりました。終演後、中村が引退ラップを披露します(笑)。みなさまお誘い合わせの上、ご来場ください。どうぞよろしくお願いします。

演目:「tobira no muko」(成国演劇部作)
日時:7月2日(土)13時開演
場所:成田国際高校文化ホール

「tobira no muko」のこと

ことしの成田国際高校の文化祭テーマは、「DOOR おかえり/ただいま」。昨年難民問題がクローズアップされたこともあって、home=故郷=家について、ちょっと考えてみようということになったのだ。それで「DOOR」。

演劇部でも「DOOR」をモチーフに芝居をつくることにした。今回キャストは6人。6人それぞれにひとりひとりの《扉物語》がある。そして6人それぞれにてんでバラバラのそれらを、1本の芝居にまとめた。題して「tobira no muko」。

てんでバラバラ、とはいえ、出来上がってみればそこになにか通底するものがあるような気がしないでもない。
扉なのだから、たとえば開放感、オープンなイメージだったり、希望にみちみちた未来へのたびだちのイメージだったり、そういったものが前面に出てきてもいいはずである。ところが、なぜかこの作品では、むしろ閉塞感のほうが基底通音となっている。

「へだてる」ものとしての扉。そして、「へだてられてある」ことのせつなさ。とはいえ題名が示しているとおり、6人それぞれがそれぞれのやり方で「そのむこう」を指向してもいる。という意味で、この作品には、やはり「希望」がある。

たとえば、今回の文化祭公演をもって引退する中村恵は、この作品のなかで幼いころの記憶を語っている。幼いころの中村は、言うことを聞かず玄関前に閉め出されることがしょっちゅうあったという。閉め出されて玄関前で泣いている。するといつのまにか、お母さんがそっと玄関の扉を開けてくれている。そこから中に入っていく。
エチュードをおこないつつその記憶の意味をさぐる。さぐるうちに、自分はほんとうはその「開けてもらった扉」から入りたくなかったのだということにつきあたる。あれ以来自分は、その入りたくなかったという感覚を忘れて生きてきてしまった。そしてあれ以来自分の人生は、「開けられて」「開けてもらって」のくりかえしだった、という認識に到達する。

じつは、ついこのあいだまで中村は、自身の進路を決めあぐねていた。自分がなにをしていいのかわからない。自分がなにをしたいのかわからない。

演劇部でも、おなじだった。演じることも、言われたままに演じることならできた。それはむろんすぐれた才能にちがいない。けれども言われたことしかできなかった。

ところが3月20日の、『繭の中』のオリジナルキャストによるさいごの上演ですっかり見違えた。ある種の自在さを獲得していることがはっきりと看てとれた。

その上演からほどなくして、はじめて中村は、演劇系大学への進学の希望を口にした。

6月11日、春季地区発表会で「tobira no muko」を初演。それを観たお母さんが中村におっしゃったという。(中村の進路決定について)「今回、あなたは自分から扉を開けたのね」と。

また、こうもおっしゃったという。「(演劇部の練習場所になっている)視聴覚室の扉を開けたことは大きかったわね」と。

ひとは、いくつもの扉を開けて成長する。
posted by コモン at 13:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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