2017年03月25日

成田国際高校演劇部・中村恵卒業公演《よわいちから》

2014年度・2015年度と2年連続関東大会への出場をはたした中村恵が本校を卒業するにあたり、卒業公演として『繭の中』(2014年度関東大会出場作品)を上演します。『繭の中』上演の機会は、これが最後になるかと思われます。また新作の『よわいちから』も併せて上演します。

みなさまお誘い合わせの上ご来場くださいますようお願い申しあげます。

よわいちからチラシ

日時:
2017年3月25日(土)
13:30〜 開  場
14:00〜 演劇新作『よわいちから』
14:45〜 休  憩
15:00〜 演  劇『繭の中』(上演時間60分)

場所:
もりんぴあこうづ(公津の杜コミュニティセンター)
2階ギャラリー



入場無料

上演作品:
『よわいちから』
キャスト:中村  恵(成田国際高校>>>多摩美術大学演劇舞踊コース進学予定)
     佐伯 七海(成田国際高校>>>法政大学社会学部進学予定)
     大西 一希(成田国際高校>>>日本大学藝術学部演技コース現3年)
     添田  輝(成田国際高校>>>明治大学文学部演劇学専攻現3年)
     十鳥美代子(柏陵高校美術教員)
『繭の中』
キャスト:中村  恵(成田国際高校>>>多摩美術大学演劇舞踊コース進学予定)
     赤尾 千夏(成田国際高校現1年)

内容:
今回の上演作品は、旧作『繭の中』と、新作『よわいちから』の2作品。

2014年度高校演劇関東大会出場作品『繭の中』は、津波が来ても逃げなかった、ある「よわい」、ひきこもり少年のはなし。またこの作品では、世界「最弱」のヒーローであるアンパンマンが重要なモチーフになっている。

そして新作『よわいちから』。

ちかごろでは、よわいものいじめとか、弱者切り捨てとかが、あたりまえのように、平然とおこなわれている、ようにみえる。
うっかり弱音でも吐こうもんならすぐさま、どっからか、なに弱音なんか吐いてるんだ、という声がとんできそうだ。
相模原障害者殺傷事件とか。福島避難生徒へのいじめとか。NHKの貧困女子高生へのバッシングとか。それから、貧困に陥るのは本人の努力が足りなかったせいだ、とする自己責任論とか、はたまたそれにもとづく生活保護受給者への攻撃とか。

ニッポンでは、6人に1人の子どもが貧困状態で、毎年3万人が自殺で死んでいるそうだ。

あからさまに「よわさ」を排斥する社会の、いきぐるしさ・いごこちのわるさ。

だから「よわさ」や「もろさ」、「きずつきやすさ」の復権をめざしたい。老子とともに「強大處下、柔弱處上。(つよいは下で、よわいが上。)」といおう。弱虫万歳!

『繭の中』について
東日本大震災関連の新聞記事で、津波に遭った、ひきこもり男性のはなしを読んだ。長年ひきこもりつづけた男性が、部屋にとじこもったまま自宅ごと津波に流されたという。はっとした。わたしがそのときまで「被災者」と、ただ漠然とひとくくりにしてきた人たちの、ひとりひとり異なった顔が、わたしの目のまえにボンヤリ浮かんでくるような気がした。当然のことながらヒトコトに「被災者」といっても性別も年齢も、職業もちがえば性格もちがう。習慣やライフスタイルも、価値観や考えかたもさまざまに異なる、その、百人百様の人たちを、地震が、津波がひとしなみに襲った。すべてを飲み込み押し流す濁流。そしてそのあとには「ガレキ」だけがのこされた。だがここでも、「ガレキ」はただのガレキなどではないのだ。それは被災した人たちにとっては、たいせつな家であり家財、またかけがえのない記憶に結びついた品物でもある。「ガレキ」も「被災者」もけっしてひとくくりすることはできない。たとえば「被災者」のなかには、障害者や外国人といった、いわゆる「災害弱者」の存在もある。ほんとうに、その《ひとりひとりの震災》にわたしたちの想像力は及んでいるだろうか。震災を忘れるな、というが、そのまえにわたしたちは、忘れないためにまず、覚える必要がある。

『繭の中』制作日記(2014.11)
ことしの夏は、忙しかった。8月は朗読劇を2本、−−1本は月初めに、1本は月末に上演。なんだかんだで、あっというまに8月も終わり。

8月も終わりになってようやく、秋の地区大会にむけて台本づくりに着手した。9月終わりの大会まで、たったの1ヶ月強。そのうえ9月初めには定期考査があって1週間前から部活停止なので実質3週間にも満たない、わずかな準備期間。

わずかな準備期間であることにくわえ、しかも、部員がやめるという。もともと1年生だけの、たった3人きりの部員のうち2人までもが、8月いっぱいでやめるという。のこり1人。

のこり1人になったのが中村恵。中村は、自分はのこるという。1人でものこるという。1人で大丈夫か。休部を考えた。だが中村は、1人でもやるという。やるしかない。始動。

始動した、顧問1人に部員1人の、たった2人きりの部活。中村は、さみしいですね、とはいうものの、それ以上は弱音を吐かない。

弱音を吐かないことが、しかし必ずしもよいこととは限らない。コップの水も、限界までためれば必ず最後はこぼれ出す。

こぼれ出す瞬間の、それはすぐあと、でもあったろう。活動場所に行くと、中村は立ちつくしていた。一目みて泣いていると知れた。どうしたと聞くと、不安なんですという。そうか。けど泣いていてもしょうがない。不安なら不安でなにが不安なのか、そこをはっきりさせたほうがよい。そういうと、照明のことがわからなくて不安なんですという。じゃあ、どうすればよいのか、具体的に、あくまで具体的に。

具体的に行動する。電話する。質問する。依頼する。少なくともリハーサルは、先輩に手伝ってもらえることになりました。不安が解消されましたという。一安心。

一安心もつかのま。数日後、活動場所に行ってみると、鍵がしまっている。もうとっくにはじめていていいはずの時間だが。どうした?とメールする。朝、学校行こうとしたのに行けませんでした。また涙出てきて行けなかったです。そう返信をよこしてきた。明日は、とにかく学校に来るように。

来るようにいったものの、不安だった。来たと知ってほっとした。聞けば、きのうは学校に行こうと制服に着替えまでしながら二度寝したら次はもう起き上がれませんでしたという。自分1人でもやれると思っていた。けれど、なにかの拍子にあらためて、ああ自分1人なんだと気がついた。そしたら、とめどもなく泣けてきた。中村のなかの、さみしみの核みたいなものをかいまみた気がした。大会まであと10日。

大会まであと10日と目前に迫ってはいるが、どうしてもむりなら棄権するしかないというと、やりますという。やっと、ひきこもる人の気持ちがわかりましたという。この1ヶ月間、「震災とひきこもり」をモチーフにした1人芝居を、ふたりで書いてきた。けれど、ひきこもる人の気持ちがわからない。少なくとも自分はそんな気持ちになったことはないと中村はいっていたのだ。やっとわかりました。よし、じゃあとにかく、やれることをやるしかない。やろう、やれるだけのことを。

やれるだけのことをやった。なるほど大会での芝居の完成度はいまだしの感はぬぐえないが、とにかくやれるだけのことはやったのだ。そして、さいわいギリギリのところで県大会に行けることになった。『繭の中』をつくり上げていく、中村との時間がもうしばらくつづく。
posted by コモン at 23:59| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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