2018年01月29日

公演に寄せてD


終わり、について考えている。考えはじめると、わかっていたはずのものが、とたんに何が何だかよくわからなくなる。終わる、とはどういうことなのか、自明だったはずのものが気がついたら自明でなくなっている。中学のときに仲のよかったトモダチとは中学を卒業した今もつながっている、とスタッフの1人がいう。フェイスブックでつながっているという。終わったようで終わっていない。自分も中学時代のトモダチに電話をかけるんだけれど、と別の一人。でもゼンゼンつながらないという。終わっていないようで終わっていることもあるかもしれない。終わりというのはむずかしい。終わっているのかいないのか。終わったと思っているだけで、ホントは終わっていない。終わっていないと思っているだけで、ホントは終わっている。ホントに終わったのか終わっていないのか。ホントに終わったといえるのは、いったいいつの、どの段階なのか。たとえば死別。だれかと死別すれば、そのときこそホントの終わりといえるのか。しかし、「死んだアナタは今でもワタシの心のなかに生きています」。終わりといえば、歯切れよくスパッと終わるというイメージだけれど、現実には案外ズルズル終わっていくことのほうが多いのかもしれない。別れぎわ、あてもない「またね」を口にする。それを口にすることで少しだけ終わりを先のばしにする。「点」だった終わりに「幅」ができる。そして、今という瞬間瞬間が終わっていっている最中となる。そんな終わりもある。などとキリもなく、終わり、について考えている。
posted by コモン at 11:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

公演に寄せてC「わからなさ」(伊三野友章)

わからなさ
千葉県立成田国際高等学校演劇部顧問・伊三野友章

この芝居をみたクマさん(仮名)から、これは演劇ですか何ですか、と聞かれて、うーん何なんだろう、と自分でも思った。またクマさんは、わからなさがわかる、ような気がしたという。クマさんには、中3の娘さんがいる。その娘さんのわからなさが少しわかったような気がしたというのである。
わたしも、この3人の関係がよくわからない。
わからないから、むろんわかろうとはするものの、それでもやっぱりわからないものはわからないので、少なくとも、わからないからといって、わからないのにわかったフリをしたりわかった気になったりはせず、わからないならわからないなりにそのわからなさをそのまんま舞台に上げてみようと思った。
この芝居をみて、だから何かがわかったりはしないと思う。でも少しは、わからなさがわかればいいなと思う。
posted by コモン at 11:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

公演に寄せてB「終わり」(笠井瑶)

終わり
千葉県立成田国際高等学校2年・笠井 瑶

私にとってミクとチナツは、宇宙人です。最近、これが終わったらもうこの宇宙人2人と帰ることもなくなるんだなってよく思うようになりました。ずっと見えなかった終わりはいつのまにかすぐそこにあって、だんだん時間の流れがゆっくりに感じられて、そういえば私、元々1人だったんだと思い知らされます。
posted by コモン at 11:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする